システム屋の日記

システム屋サラリーマンの日記。それ以上でもそれ以下でもない

システム屋がシステム化のデメリットを話す

僕は新卒で就職してから、2度の転職をしたが、どこでもシステム屋として働いている。システム屋と言ってもやることは様々だ。システム屋は簡単に言うと人間とコンピュータの間に入り、コンピュータがどう動くかのマニュアル、手順を作ることにある。そのマニュアルがプログラムだ。最終的にはプログラムを作ることでコンピュータに何かをやらせる。

コンピュータに何をやらせるかによってプログラムが変わる。そして、何をやらせるかを考えるのは、そのシステムを使う人間だ。システム導入が失敗する原因はそこにある。現在、行っている業務を手順化する。誰でも出来るようなマニュアルを作ってシステマチックに行えなければ、システム導入が失敗する。

僕は昔から、システマチックに行動するのが苦手だ。どちらかと言うと譜面通りに演奏をするより、最低限のコード進行だけ決めて、後はアドリブで演奏する方が性に合っている。システマチックな行動よりエモーショナルな方が良い。

もちろん、決められたことを決められた手順通りに処理していくことが好きな人もいると思う。と言うか、会社で求められるのは、手順通りに処理する能力だと言うのも分かっている。

色々な人間がいるので一概にどちらが良いとはならないと思うが社内の業務をシステム化するときのデメリットは、人間の考えるチカラがなくなることだと思う。

手順通りに動かないとシステム化できない

システムは究極のマニュアル人間だ。マニュアルに書かれたことはミスもなく、文句も言わず、完璧に処理する。マニュアルに書かれてないことは絶対にしない。コンピュータにとっては、そのマニュアルがプログラムであって、プログラムに書いてないことは何もしない。システムとは、そんな性質のものだ。コンピュータが判断をしているように見えるのは、判断する条件や処理を全部プログラミングしているからであって、コンピュータが考えている訳ではない。

そしてそのシステムを使う人間も手順通りに動かないとシステムとして破綻する。例えば、出退勤をシステムで管理するなら、出社のタイミングでシステムに通知しなければ、システムは認識できない。その方法は決めごと、パソコンの電源を入れるのか、カードを読み込ませるのか、ボタンを押すのか、人間が決められた手順でシステマチックに動く必要がある。

システム化をすると言うことは、そう言うことだ。そこに複雑な考えは必要なくなる。手順を守らないのであれば、何もできなくなる。軍隊のように決められたことを遂行する能力が必要になる。それこそシステマチックに動くことが求められる。

システム化のデメリット

単純な作業であれば、マニュアル化しやすい。マニュアル化ができる作業であれば、プログラムに落とし込むことが可能だ。つまりシステム化しやすい。そんな仕事は、じゃんじゃんシステム化すれば良い。ただ、その作業をしている人は仕事がなくなる。その単純作業が好きな人の雇用問題なんて言うのが出てくる。まず、ひとつ目のデメリット。単純作業が好きな人は複雑で考えるような仕事は基本的にできないし、やらない。その人たちをどうするか問題が発生する。

ステマチックじゃない仕事、クリエイティブな仕事はシステム化しにくい。出来なくはない、判断する基準を全てマニュアル人間起こしてもらえれば、システム屋としては、持てる知識を総動員してプログラムに落とし込む。システム屋のプライドにかけてもう一度言う、判断する基準、行う手順を全てマニュアルに起こしてくれれば、完璧なプログラムを作る。

これが、二つ目にして最大のデメリット。絶対にマニュアル化ができない。複雑に絡み合った条件で処理が変わるようなことをマニュアルにはできない。できるとしても膨大な時間と労力が必要になる。中途半端なマニュアルだと残念ながらシステムにはならない。そして、判断が必要な仕事をしている人はシステマチックなマニュアルなんて作れない。絶対に協力しない。

システム化は諸刃の剣

システムを導入すると言うことは、現在、なあなあで処理していることに対して、キッチリと手順を決めて、その手順通り、システマチックに行動すること。システムを使う人間の思考能力を奪って何も考えなくても良くすること。作業時間の短縮、ヒューマンエラーの排除などのメリットは大きい。しかし、そのシステムを導入するために現在の業務手順のマニュアル化の時間と労力、システムに仕事を譲る人の雇用問題など、面倒くさい問題が出てくる。

システム導入を進めている会社の上の人たちは、システムがあれば、何でも上手く行くと思っている。でも、何でも上手く行くようなシステムは、それなりに膨大なマニュアルを作らないと出来ない。そして、そのマニュアルを作るのはシステム屋の仕事ではなく、使う人たちだ。